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この便利で手軽な自転車っていつ頃生まれたのでしょうか?ご存じですか。
およそ200年前頃と云われているそうですが、実は誰が発明したのか、はっきりしません。
ただ、だれが初めて作ったか定かではないのですが、2つの車輪を縦に並べて馬の形をした木の枠で結び、足で地面をけって進む乗りものが18世紀の末頃に流行ったようです。それを“セレリフェール”名づけたそうです(写真1)。ただし、ハンドル機能が無いため向きを変えるには持ち上げて行いました。
そして記録も実物もはっきり残っていますのは、ドイツのドライス男爵が1818年に発明して“ドライジーネ”と名づけたものでした(写真2)。これも足蹴り型でしたが、従来のものと違い前輪を操縦可能とした当時としては画期的なものでした。
以来、先人の知恵と努力によって改良につぐ改良が重ねられて、ほぼ現在の原型といえる姿になったのは1885年にジョン・ケンプ・スターレーが発表した“ローバー号”でした(写真3)。
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ハイブリッド:複合、混合、混血等の意味を持ちます
自転車の定義:ペダル又はハンド・クランクを用い、かつ人の力により
2輪以上の車
世界の自転車生産上位国:
第1位中国 第2位インド 第3位アメリカ 第4位台湾
第5位日本(全世界で年間1億台の生産と推測されます)
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現在、国内にはどのくらい自転車が存在しているか想像があつきますか!
実に6,570万台を超えて、およそ2人に1台以上を保有する割合となっています。
因みに、本県においては100万台を超えています。
よく駅前などに放置されている無惨さ姿をした無数の自転車を見掛けますが本当に残念なことです。
それだけ自転車が安価となって普及したため相対的にその価値観が下がったためなのでしょうか。
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自転車産業の概要 |
[企業数]
完成車メーカー 67社
部品メーカー 293社
[中小企業者の構成比]
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| 従業員300人以下 | 資本金1億以下 |
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完成車メーカー | 63社(94%) | 57社(85%) |
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部品メーカー | 287社(98%) | 281社(96%) |
このように当業界は極めて零細性が強く、その上最近はアジアなどを中心とした輸入車の比率が年々増加の傾向が顕著で国内メーカーは大苦戦している状況です。
1993年の輸入台数は156万台だったものが1995年のたった2年間で270万台と1.7倍まで急増しています。
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平成7年、世界的に君臨するバイクメーカーのヤマハがこの自転車市場に新しいタイプの自転車を投入しました。その名は「パス」と云うものです。一度ぐらいは耳にしたことがあるのではないでしょうか。
これは、走行時に電動モーターが力を発揮して私たちが踏むペダルを軽くしてくれる補助動力を持つものです。しかし、ペダルを漕がない限りはあ補助をしないため自走はしません、操作は自転車と全く同じですので運転免許を必要としないとても便利で優れている自転車です。
これが結構消費者の支持を得て生産台数の伸び率はうなぎ登りです。
このため現在では、この市場には自転車メーカーや他のバイクメーカーをはじめとして、国内トップの家電メーカー、世界的な造船メーカー等の異業種までもが参入し、はてさて農機具メーカーまでもが製品を投入するという戦国時代の様相を呈しています。
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電動アシスト自転車の推移 |
1995年 5万台
1996年 9万台
1997年 25万台(見通し)
2000年 100万台(予測) |
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このような過当競争になるとちょっと前の頃、県北地区の中小企業者達が大手メーカーが採用している電動アシスト自転車の機構を凌ぐ画期的な仕組みを思いつきました。そして、私ら中小企業にだってこの仕組みをベースにした先発のメジャー企業に負けない、新しくて高性能を持つ電動アシスト自転車の開発に取り組もうと一大決心をしたのでした。
しかしながら、彼らも中小企業の持病である慢性金欠病に罹っており、自前の開発資金の捻出に苦慮せざるを得ませんでした。そんな折り、中央会との出会いがありました。平成7年9月頃でした。
これが契機となり中央会から研究開発を進めるための全面的た支援を受けることで開発資金の手当の目途をつけたのでした。早速、「中小企業の創造的事業活動の促進に関する臨時措置法」の認定を受けるために研究開発計画を作成し、同時に開発母体となる協同組合を設立したのです。平成8年4月9日のことでした。
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組合も成立しいよいよ開発に着手する段になって、それまで中心となって開発をリードすると目されていた企業がアクシデントを起こしてしまい組合をリタイヤすることになりました。そればかりか組合に大きな傷をも残してしまいました。
ここからが我ら中小企業にバイタリティと頑張りの見せ所でした。
残されたメンバー企業の涙ぐましい苦労と頑張りがここから始まったのです。
開発を中座させることは簡単でしたが彼らはその道を選択せず、敢えて開発を継続すると云う苦難の道を選んだのでした。
開発資金の再手当のこと、開発体制の再構築のこと、開発課題となる技術的なことなどすねてを洗い直して一から再スタートを切ることにしたのです。
これは並大抵なことではありませんでした。なにぶん、国内景況は不振を極め、中小企業においての経営環境は一段と悪化の一途をたどる中、メンバー企業も例外ではありませんでした。自社の経営そのものに全力投入しなければならないにもかかわらず、初期の開発目標を達成しようと踏ん張ってきたのです。
元来、研究開発などというものは上手くいくのは少なく、むしろ失敗することの方が断然多いのです。
彼らも試行錯誤の連続でした。
そんな時、当初考えた新駆動システムは先発メーカーの特許に類似するとのことで使用できないことが発覚してしまい、新たな方式を考えなければならない事態を迎えてしまいました。
しかしながら、“人間万事塞翁が馬”“禍福は絶える縄の如し”でした。
開発テスト用のユニットです。
ひょんなことから画期的なアイデアが閃いたのです。早速、特許の取得手続きを行いながら試作へと着手したのでした。
以来、試作機の製作と試乗を繰り返しながら各種のデータの収集を重ねて、一歩一歩完成度を高めて来ています。
試験機によるテスト
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