商工ふくしま 1999.9月号掲載



 
 現在の商店街をめぐる事業環境は、極めて厳しい。平成9年の通商産業省「商業統計表」では、商店数140万店、年間販売額約148兆円、従業者数735万人であった。昭和57年調査の商店数は、172万店で、これを最高にそれ以降は、一貫して減少し続けている。これに対し、年間販売額は増加、従業者数は、横這いとなっている。32万店の商店数が減少したが、新規開業を考えるとこれ以上の店が減少したということになる。
 平成11年度の中小企業白書では、新規参入の低下、廃業率の上昇による中小商店数の減少に加え、スーパーやコンビニエンスストアなどの出店により業態変化が影響していると分析している。現在大きな問題となっている既存商店街の衰退や中心市街地の空洞化は、消費者の買い物のための移動手段が自動車になり、購買行動も駐車場が充分確保されている郊外の大規模ショッピングセンターに代わってしまったこと、特に、大規模商業集積の出店が著しく増加し、新たな商業集積が形成されたこと、また、コンビニエンスストアなどの身近な生活にマッチングした業態が支持されていること、無店舗販売・インターネットを活用したオンラインショッピングの進展、住居の郊外への移転、さらに長期間にわたる不況と消費者の買い控えなどにより中心地の既存百貨店の撤退等が要因である。
 一方、独自の活動を実践している商店街もある。今回は、歴史と伝統の会津若松市で地域特性を活かした街づくりに取り組んでいる「七日町通りまちなみ協議会」を紹介してみたい。
 熱い日が続く8月某日に事務局のSさんと七日町通りを訪れてみた。
 
 今日は、「磐梯・会津路号」の歓迎イベントですね。暑いのにご苦労様です。
 「今年は、JR東日本の磐越西線開業100周年記念事業として、新津から会津若松まで『SLばんえつ物語号』が、郡山から会津若松間を『磐梯・会津路号』が運行され、その内4日間は、七日町までSL『貴婦人』(C57)が乗り入れします。観光客には、会津若松市内の街並みを歩いて見てもらい会津の歴史と文化にふれていただこうという趣旨です。今日は、その歓迎イベントなんですよ。」
 


 中央会では、協同組合や商店街組合の活動を「商工ふくしま」で紹介していますが、今回は、商店街再生の原動力になっている街づくりネットワークの「七日町通りまちなみ協議会」の活動について、お話を伺いに来ました。
 「協議会の事務局は、ほしばんロウソク店にあります。元祖会津絵ろうそくの製造販売元です。会員は、現在65名で、会長は、漆器製造販売の小野隆市さんです。昨年までは、56名でしたが、お陰様で今年も会員が増えました。市内の中心市街地で空き店舗が減少しているのは、七日町通りぐらいですね。業種も多様で、飲食業、衣類小売業、食品小売業、ホテル・旅館など、また骨董品取扱業も会員に参加し特徴ある業種構成になっています。」
 
 どの様な事業を実施していますか?
 「ソフト事業では、昨年も実施したのですが、10月10日の『七日町パラダイス』やバザール等のイベント、研修会、まちなみ通信の発行、空き店舗への誘致運動、昔懐かしい年中行事の復活ですね。」
 「『七日町パラダイス』は、七日町レンガ通り、旧出光ガソリンスタンド跡地を主会場に、ウォークリー大骨董市とストリート・ジャズライブを実施しました。一般の参加による『しゃなりウォーク』は、着物姿の女性に街中を歩いてもらった企画です。その他に食の祭典、パラダイス・フォトコンテストを実施しお陰様で好評でした。ハード事業は、街路灯の設置を昨年から実施しています。また、建物修景事業の推進です。」
 
 七日町は、どんな町ですか?
 「会津若松市は、人口12万人の城下町。七日町通りは、街の中心である大町四つ角から西にJR七日町駅までの約800mの通りで、藩政時代には、会津五街道のうち日光、越後、米沢街道の主要道路が通り、城下の西の玄関口として問屋や旅籠、料理屋が軒を連ねていました。」
 「明治時代以降も重要な通りとして繁栄を極め、昭和30年代頃までは、2館の映画館を擁するなど会津一の繁華街としてにぎわっていたんです。しかし、他の地方都市と同じように、市街地をとりまくバイパスの完通、道路事情の変化により消費者は、中心市街地から郊外店へと移動してしまいました。七日町通りも次第に寂れ始め、空き店舗が目立つようになってきました。幹線道路のため、車の交通量は、多いものの買い物客はめっきり減り、ついには七日町通り商店会も市の商店街連合会を脱退する事になってしまったのです。」
 商店街の衰退は、どの商店街も同じ理由なんですね。
 
 「こうした状況の中で、平成5年の夏、私たちは、通りの建物の調査をしました。会津若松市の市街地は、明治戊辰戦争で大部分が戦火に焼かれ、江戸時代の建物は数えるほどしか残っていません。それでも七日町通りには、明治以降のものとはいえ、歴史的な建物が数多く残っていました。ただ、これらの建物のほとんどが外観を新建材で覆ったり、窓枠をアルミサッシに変えたりしていました。私たちは、七日町の、今なお残る古く味わいのある建物を活かして、城下町らしい特色ある商店街再生を図ろうと考えたのです。」
 
 それで地元のみなさん賛同はすぐに得られたんですか?
 「そんな活動を始めた頃、旧商店会の年配の人の会合に呼ばれました。そこで、『何か色々やっているそうだが、君たちの考え方を聞かせてくれ。』私達は、これからの商店街づくりを熱っぽく話しました。商店主の人たちは、口々に『今まで大売り出しとか、色々やってきたが、効果はなかった。街の中が空洞化するのは、時代の流れで仕方がない。』と半ばあきらめの様子でした。しかし、『我々は、もう年だから無理だけど、息子達に話してみよう。まあ、これは最後の戦いだべな』と言ってくれました。」
 平成6年3月、任意組織として当協議会が発足しました。
 
 七日町通りのコンセプトは、何ですか?
 「商業文化が息づく町並みです」「これは、城下町としての基盤を都市計画として蒲生氏郷がつくり、その際に楽市・楽座に力を入れています。明治初期は、戊辰戦争で、城下は焦土と化しても、都市の基盤は残っていました。武家文化は、斗南藩に移り、地場産業と商人の文化が残ったのです。今年は、市制100周年を迎えますが、当時の福島県では、人口も産業も一番多かったし都市の活力も相当あったはずです。この都市経済を支えた商業文化を掘り起こし、これからも伝えていくことが、我々の責任でもあるし、役割です。」
 
 
 商店街通りとしては、距離が少し長い様な気がしますが?
 「七日町通りは、景観特性を活かし3つのゾーニングをしてます。」「東側を『上の区』とし、レオ氏郷南蛮館や大正から昭和初期のエキゾチックな洋館が不思議な景観を作っています。レオ氏郷南蛮館は、会津若松市の空き店舗対策事業第1号です。」
 「また、改装して卸売業の他に小売店もやりはじめたのは、い草や和風暖簾を扱う『稲忠』さん。景観だけでなく、会津楽市の名ガイドとして活躍している女将さんの稲村キミ子さんは、来街者に必ず『お茶飲んでがんしょ!』と会津弁で声をかけ、会津人情に触れ合う事ができます。」
 
 『稲忠』さんが、店舗を改装して協議会に加入した理由は、どうしてですか?
右から2番目が稲村キミ子さん 「街づくりを伸ばすことによって自分の楽しみたいと言うのが理由かな?。うちは、元々畳材料の卸売業なんです。職人さんだけの店では、もったいないと思っていたとき、町並み協議会の勉強会に参加したんですよ。女性では、私1人だけだったね。今は、大型店が出店して大変だと言うけれど、大型店には真似のできないものをやれば良いんじゃない。それと行政にばっかり頼っても駄目。やれる事は、自分でやらないと。お客さんのために、日曜も夜も店を開けているよ。」
 「中の区ゾーンは、蔵が多いのが特徴です。小野屋蓮華館と会津夢蔵は、会津若松景観賞の『つくる賞』を受賞しました。会津夢蔵は、協議会のメンバーが集まる場所としても重要な拠点です。また、女性杜氏が酒造りをしている酒蔵や会津大学と産学官連携の先端事業を展開している会津リエゾンオフィス研究所も蔵を活用したものなど会津の特徴ですね。」
 「下の区は、城下町の入り口としての歴史が残る地区で、木造商家と洋館が残っている地域です。ここは、他の地区から移転した商店や業態を転換した店などがあり、現在も建物修景が相次いで行われています。七日町は、着実に変わっています。市内には、骨董屋さんが多いのですが、移転してきた方も居ますし、テレビタレントの『きよ彦』さんの店もできました。米穀小売店だった山寺さんは、昔懐かしい駄菓子、民具、骨董品も揃えている茶屋に変わりました。」
 
 山寺さんは、どうしてこういう商売に変えたのですか?
 「米穀小売店は、規制緩和が大きく影響しました。東京の老舗同業者では、廃業を余儀なくされたという話を多く聞いています。行政の診断を受け、米に関連したおにぎり屋等業種転換について提案がありました。今では、品揃えも増やし、夜は、酒も提供しています。思い切って業態転換をして良かったと思っています。ただ、夜時間が長くなるのがつらいですネ。」
 
 これからの街づくりは、どういう方向ですか?
 「七日町は、通りとしては、長いので、ゾーン毎に拠点施設を整備します。ハード事業では、幸いにガソリンスタンド跡地があるので、イベント広場としての整備や川越の駄菓子横町のような横町の復活、電柱のセットバックや植樹、七日町駅舎の改修と使われていない病院施設の活用、周辺町内との回遊性の確保等です。また、ナイトバザーも是非実現したいです。」
 「大切なのは、地域と人と商業者、行政の連携による街づくりです。そう言う意味では、町内会の協力や行政の後押しは、心強いですね。」
 「昨年7月16日、東北地方建設局の設立50周年を記念し、地域づくり功労賞を受賞しました。東北地方から136団体が候補に上がりましたが、このうち功労賞を受賞したのは、わずか7団体でした。福島県では、三春町と当協議会です。」「また、会津若松市では、景観協定に基づく建物修景の助成制度が協定地区を対象に適用されていますが、七日町通りでは旧七日町一丁目と中央区、下の区を認定しています。こうした行政の後押しも我々の活動にとって大きな励ましです。」
 多くの商店街は、今後の対応に苦慮している中で、高齢化社会への対応に取り組んでいる商店街もあるが、まだまだの感がある。それぞれの商店街が消費者にどう位置づけるかが問われている時代である。がんばろう商店街!
 
阿弥陀寺御三階(あみだじごさんがい)
   七日町駅前にある阿弥陀寺には珍しい建物がある。外観は3階建で内部は4層になっており、秘密の会議が行われたと言われている。鶴ケ城本丸内にあったもので、明治3年に移築された。この他境内には、戊辰戦争戦死者が埋葬されている。
レオ氏郷南蛮館(レオうじさとなんばんかん)
   キリシタン大名の蒲生氏郷(洗礼名がレオ氏郷)を記念した会津楽市の拠点ともいえる施設。
白木屋資料館
   創業が今から300年前の慶安年間という会津漆器の老舗。洋館3階の店舗は大正2年の建築で2階が資料館になっている。